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縄文心象ブログ

探求者は荒野を目指す
なぜ土器がイラストなんですか?
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    なぜ土器がイラストなんですか?


    書籍「縄文心象」の読者から先日このようなメールを頂きました。

    「なぜ武居幸重氏はご自分で土器の細密画をお描きになって研究結果をまとめられたのでしょうか? 新しい分野の研究であれば恣意性についてとやかく言う人間が多い筈です。写真を使う必然性もあったのではないかと素朴に疑問を感じるのですが...」

    そう感じている人は多いと思っていました。
    お答えしましょう。

    「縄文のデザイン」あとがきより


     この種の研究を行う場合、在野の研究者は極めて苦しい立場におかれている。出版社というスポンサーがついて、カメラマンが展開写真を撮影してくれて、仕上がった展開写真に解説をつけるというかたちで自己の論文を公にできるなどということはまずない。
     そのような好条件がもし私にあったならば少なくとも七年早く本書が出版できたことは確実である。
    展開写真の撮影をカメラマンの方に依頼しようと試みたが、とても私にとって払える撮影料ではなかった。
     止むなく自ら土器一点につき何十枚か分け撮りをし、それを細かく切ってはり合せて作った写真をもとに展開図を描いてゆく。点描法であるから一体何十万回点を打つ作業を繰返すのかつくづく根が尽きる作業ではある。
     自営業であってみれば撮影機材の購入費から車の燃費、作業を行う手間一分たりとも誰も購ってくれるわけではない。第一この分野の参考文献一冊あるわけではないからほとんど全部に近い部分が開拓である。
     まあ何とかして原稿が出来上っても、紙の購入費、印刷製本費を用意せねばならない。何百万円ということになる。作った本が売れる保証は何もない。
    このような悪条件の中で、なお自己を貫こうとした時、そのしわ寄せは 女房と子どもにゆくことになる。ある時は妻や子どもの眼に私は鬼と映ったであろうと悔恨の念を禁じ得ない。
     ついグチッぼくなったが、捨てる神あらば拾う神ありで、私は多くの友と師に恵まれていた。そして縄文のメッカ諏訪の地に生まれ住んでいたのである。

    ま 早い話が金がなかった。


     しかし武居幸重は自分で正確に土器文様を書き写す過程を通じて、数々の文様の細部にわたる特徴を頭に刻み込んだともいえるし、この土器をじっくり見るということがなかったら、中部地方を中心とした土器文様についてあれほど確信的に文様の意味原則をまとめることはなかったと思うのです。
     書籍「縄文心象」はB5版とややコンパクト。A4版の「縄文のデザイン」はイラストに重点が置かれた構成になっていて、紙質や色を含めて文様の意味を伝えようとする武居幸重の気迫がひしひしと伝わってきます。確かに幸重は鬼でした。でも苦労して出版しただけのことはありますな。
    | 考古学者 武居幸重 | 19:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    武居幸重に聞く(その2)
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      (その2)


       誰しも今の自分の人生を決めたきっかけを過去のどこかに持っているはずだ。そのきっかけに思い当たる人もいれば思い当たらん人もいるだろう。
       わしはこの先何年生きていられるかわからんが、家族まで犠牲にして縄文土器文様の研究に人生の大半を捧げてきた。おそらくこれからも死ぬまで研究を続けるだろう。そんな人生のきっかけは何だったのか。わしはそのきっかけに出会った日のことを今でも鮮明に覚えている。

       昭和36年4月初旬だった。尖石考古館の戸は開いているのに、いつも入ロのわきで机を前に椅子に腰かけている筈の宮坂英弌先生は留守で、わしは入館するのをためらっていた。そのとき初老の紳士に背後から声をかけられたのだ。

       「考古館を見学に来たのですが入ってもよろしいでしょうか。」
       「私も今来たところですが、この館を管理していらっしゃる宮坂先生が見えませんので困ってます。」
      紳士はやや間をおいて
       「どうでしょう折角参ったのですから見せていただいているうちにはお帰りになるでしょう。戸が開いているのですからそう遠くへお出になったのではないでしょうから。」
      わしは「そうしますか。」といって紳士と共に中に入った。
       「ほう 沢山の土器ですな」と紳士。
      しばらく見ていると
       「あなたはこの近くの方ですか。この方面の研究をなさっているのですか。」
       「はい、この市の者です。発掘にも参加しました。その土器も私たちが発掘したものです。」
      と言って富士見町徳久利遺跡出土の土器をわしは指した。

       「この土器の文様には何か意味があるんですか。」
      と例の紳士は質問した。とっさにわしは
       「さあ…あるにはあるんでしょう。」と答えた。
       「そういうことは判っているんですか。」
       「わかっておりません。そのような研究書は私の知る限り一冊も出版されていないと思います。」
       「こんなに沢山ある土器の中で一つも判っていないんですか。」
      こう言いながら信じられないというふうに紳士は首をゆっくり左右に振った。
      わしは何とも答えられず、恥かしい気持で
       「はい」
      と小さな声で応じた。

       館の庭には小春日和に誘われてか、羽化したてのモンシロチョウが舞っていた。
      十分程して紳士もわしも入館料を机の上に置いて館を辞した。
      とうとう宮坂先生は見えられず、紳士はバス停へ、わしは車で蓼科方面に向かった。

       その夜わしはなかなか寝つけなかった。
      老紳士とのやりとりが頭から離れないのだ。

      わしは心に決めた。 

      「縄文土器の文様を解読しよう。」

      わしの人生は、この時に決まったようなものだ。
      | 考古学者 武居幸重 | 15:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      武居幸重に聞く(その1)
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        考古学を志したきっかけを教えて下さい。


         わしは高校生の頃、生物部に所属していて、当時の校長とつるんで授業をさぼって裏山に登ってばかりいた。
         この校長は千野光茂といって京都大学でショウジョウバエの遺伝研究をやってた助教授だったんだ。高校の生物の教科書にショウジョウバエで遺伝を説明するところあるだろう。それが千野光茂ら研究者の成果だ。わしは校長が裏山で虫や蝶のエサを取る指示通りに動くまあ助手がわりのような生徒だったわけだ。朝早く起きて校長の分の弁当を用意し、学校に行くと鞄を放り出して校長のお供をした。まあお互い生物好き同士だから気があったんだろうな。

         その当時 考古学者藤森栄一が高校と目と鼻の先に住んでいた。40歳くらいだっただろうか。わしは生物に詳しい後輩ということで、高校帰りに家に寄っては学生社という出版社に出す前の原稿を読んで生物に関する記述をチェックしたり、校正したりというようなことをやっていた。
         当時の藤森栄一の家には年齢や分野を問わず色んな人が出入りしていた。藤森栄一という人は、その中で得た知識を自分の肥やしにしてさらに広い分野を目指す人だったな。

         わしにとっては生物学と考古学はいつも近くにあった存在だった というより、田舎の若者の知的好奇心をみたすことができるものといえば生物学と考古学ぐらいしかなかったのだ。まだまだ当時の日本も貧しかったな。生物が好きだから医学の道に進むのが夢だった。

         大学に合格して上京した3月のある日、わしは上京先で電報を受け取った。
        「チチキトクスグカエレ」だ。
        わしが家に着いたとき、親父光知(ミツトモ)は意識不明で布団に横たわっていた。脳溢血だった。親父はわしが医学の道に進むことに猛反対していた。だからわしは上京したものの、大学に入学することはできても学費が払えるかどうかも危ういという有様だった。脳溢血で倒れた親父。まだ姉も妹もいる。母も農業以外に仕事はなかった。わしに選択の余地はなかった。医学の道をそのままあきらめざるを得なかった。
         後になって神棚にわしの大学合格通知が大切にしまってあるのを発見した。母は合格通知そのものを見たことさえなかった。多分親父は最後に田畑を売ってでもわしに援助しようと考えてくれていたのだと思う。

         医学はあきらめたが、わしは自分をあきらめなかった。畑をやり、田んぼをやりながら色んなアルバイトをした。遺跡発掘にも参加した。少ない金で考古学や自然科学の本を買った。酒もたばこもやらなかった。いや やっているヒマがなかった。何か突き動かされるように学び続けること。それが自分の唯一の支えだった。
         考古学について基礎をしっかり勉強したのもこの頃だ。特に当時尖石考古館の館長だった宮坂英弌(フサカズ)先生に多くを教えて頂いた。
         結果として医学の夢は破れたが、そのおかげですばらしい考古学の師に恵まれたのだ。

         ある日 いつものように尖石考古館に宮坂英弌先生を訪ねた時のこと。
        考古館で一人の老紳士と出会った。
        そのとき わしは生涯のテーマに出会うことになる。(その2へ続く
        | 考古学者 武居幸重 | 20:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        検証させろ!
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          サイトの読者から厳しくもありがたいメールをいただきました。
          「文様が解読できることを武居幸重の著書で検証したいのに、絶版では検証も難しいのでどうすればいいのか? 検証もできない内容をサイトで公表するのはいかがなものか?」 もっともな内容でした。実は同様のメールを何通かいただいており、とりあえず中古書市場をチェックして下さいとお答えしてきましたが、あまりにリアルな反響なので幸重にこれを伝えたところ、彼がポツリと言いました。
           「在庫なら俺が持ってる。」 「ふーん 持ってるんだ〜。....なにー! それならそうと早く言え!」 
          メールをお送り頂いた方々すいません。ありましたよ。こんなところに。

           そのまま幸重が墓に持って行くのもかさばると思うので、販売することにしました。本来は古書ですのでお安くしたいのですが、自費出版に近かったために紙代の元も取っていないという事実。そして彼が数十年かけて解読した内容が縄文人の精神構造として仮説的推論でありながら、文様の意味原則として構築されて提示されている考古学上の価値という観点。そして少しでも彼の研究の今後の足しになればというリアルな側面。したがって....あえて定価での販売です。幸重が気持ちを込めてサインを入れると申してますが残部はあまりありません。それでも縄文を真摯に探求する方々に少しでも記号論モデルとして幸重の縄文文様意味論を知っていただければ幸いです。サイト「縄文心象」の縄文のデザイン縄文心象で本の画像をクリックすると発注ページにアクセスできます。(セキュリティーは万全です。ご安心下さい。)これにておそらく正真正銘の絶版となります。売り切れの際はご容赦下さい。
          | 考古学者 武居幸重 | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          なぜ武居幸重なのか?
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            サイト縄文心象を始めてから
             サイトを見て下さった友人、知人に「おまえの親父は偉大な人なんだなあ。」とか、「おまえは本当に幸重氏の息子か?」とか言われます。それはそれで父をサポートする立場としてありがたくも嬉しいお言葉なのですが、サイト縄文心象の第一歩が「偉大な父だから」というオチで一件落着したのではちょっと不本意だなあということで「何故まず幸重を紹介するか」という点についてちょっと一言。


             

            私は考古学には全く無縁でした。

             3年前のある日、私はいつものようにトイレに持ち込む本を本棚で物色していた時のこと(トイレで少しずつ本を読む癖を家族はとても嫌がっていますが。)その日も本棚に向かって、さて次は何読もうかと何気なく手に取ったのは、父の著書「縄文心象」でした。まともに読んだことはないから、一度ぐらいはちゃんと読んでやろうか。さっそくトイレに座って読み始めました。


            (1時間経過)

            うーん 結構おもしろいじゃないか。彼にこの本を書かせた縄文時代とは一体何なんだろう。厳冬の中、すっかり下半身が冷えた私はズボンをあげながら、ぼんやりとそんなことを考えました。それから、その本の内容を検証するために縄文時代について調べる日々が始まったのです。


            (イキナリ3年経過)

             すでに絶版となり、なかなか入手できませんが、もし手にする機会があればぜひ一読していただきたい。私なりに3年間検証して、やはりいい本だと思います。

             

            縄文のデザイン」「縄文心象」はいい本です。

             その著書がどのようにして生まれたのか、在野の考古学者の実体はどうなのか、縄文時代の文化は今の私たちの心に本当に受け継がれているのだろうか? その他いろいろ記しておきたい。それが文様解読のサイトでまず武居幸重を紹介した理由です。


            | 考古学者 武居幸重 | 13:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            在野(ざいや)って何
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              「在野の考古学者」

              という言葉は荒野に立つ野武士のようでちょっとカッコいい響きだと思いませんか。
               「在野」とは「組織に属さない一民間の...」という意味です。「在野の研究者」とは、民間であり自前で研究をする人を指します。



              「在野」は自前

               何が自前かというと、生活に必要なお金、交通費、燃料費、通信費、文献や書籍購入費、その他諸経費、研究の時間、研究発表の場の確保、発表や公表にかかるお金、何から何までも自前です。



              「在野」の特権

               組織や上司の規制を受けず、同業者のしがらみに縛られずに自由に意見が言える。自由に発表ができる。在野にはプロもアマもない。在野の研究者は常に対等です。そしてなにより、猛烈に興味がわいた瞬間から、すぐにでも在野の研究者になれる。それってどう思います?



              武居幸重の場合

               高校時代は生物部に所属し、もともと生物全般に興味が深かった幸重。獣医畜産大学に合格したところ、東京にて「チチ キトクスグ カヘレ」の電報を受け取った幸重はそのまま進学を断念。しばらく実家の農業をやり、その後手回しの輪転機で印刷屋をスタート。
              ※注 輪転機はハンドルを1回まわすと1枚刷れる機械


              インク缶 幸重はナゼ印刷屋だったのか。私は幼い頃、幸重にそれを聞いたことをよく覚えています。
              「父ちゃんは何で印刷屋になろうと思ったんだあ?」
               インクの匂いに包まれた部屋。頼りなく暗い電灯の下で黙々と輪転機を回していた幸重。
              唐突に彼は大きな声で言いました。
              「自分の本が出したいからだ!」
              「へー そうなんだ。」
               幸重の在野はそんな形で始まったのです。




              パワーアップした印刷機
               3人の息子の子育てと、印刷屋を切り盛りしながら研究を支えた幸重の妻 恵美子。最良のパートナーに恵まれて幸重は研究を続けてきました。




              在野の研究者 諸兄へ

               世界と渡り合う日本の精密加工技術が、名もない町工場の技術者によって支えられているように、おそらく全国には考古学を支える何万人もの「在野の研究者」がいます。そういう在野の研究者に心からエールを送ります。


               在野の研究は飽くなき好奇心と探求心によって成り立っています。そこはプロもアマも上下関係もない世界です。だから考古学博物館や大学などの公の組織に属していても仕事及び見解とは別に個人的発言も「在野」として歓迎したいと思うのです。このブログやサイト縄文心象を通じて、そんな「在野」の出会いと激突が生まれたらすばらしい。そう思います。


              | 考古学者 武居幸重 | 13:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              サイトポリシーというほどのものでもないですが。
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                 縄文心象は、縄文時代の縄文土器文様解読を紹介するサイトですが、文様解読の分野で初めて体系的な解読を行った在野の考古学者武居幸重(たけいゆきしげ)について彼の素顔を追うとともに、縄文時代と現代を結ぶ日常というものを綴ってみてはどうであろう。
                 おおっそれはいいのではないか。可及的速やかにそのようにしよう。そうだそうしよう。どんどんしよう。(椎名誠調)ということでブログの扉は武居幸重です。


                幸重、リュウセイ

                1968年おそらくどこかの発掘現場近くで撮ったものだと思われるこの写真。満面の笑みの武居幸重と、仏頂面でそっぽを向いている彼の息子が好対照。


                サイト縄文心象の内容についての責任と権利は武居幸重にあります。そしてその運営とブログ縄文心象に関する責任は息子、武居竜生(たけいリュウセイ)にあります。



                | 考古学者 武居幸重 | 00:54 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |