SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
  • サイトポリシーというほどのものでもないですが。
    simasan (01/16)
CATEGORIES
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

10
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--

縄文心象ブログ

探求者は荒野を目指す
<< Yahooカテゴリに登録されました。 | main | 武居幸重に聞く(その2) >>
武居幸重に聞く(その1)
0

    考古学を志したきっかけを教えて下さい。


     わしは高校生の頃、生物部に所属していて、当時の校長とつるんで授業をさぼって裏山に登ってばかりいた。
     この校長は千野光茂といって京都大学でショウジョウバエの遺伝研究をやってた助教授だったんだ。高校の生物の教科書にショウジョウバエで遺伝を説明するところあるだろう。それが千野光茂ら研究者の成果だ。わしは校長が裏山で虫や蝶のエサを取る指示通りに動くまあ助手がわりのような生徒だったわけだ。朝早く起きて校長の分の弁当を用意し、学校に行くと鞄を放り出して校長のお供をした。まあお互い生物好き同士だから気があったんだろうな。

     その当時 考古学者藤森栄一が高校と目と鼻の先に住んでいた。40歳くらいだっただろうか。わしは生物に詳しい後輩ということで、高校帰りに家に寄っては学生社という出版社に出す前の原稿を読んで生物に関する記述をチェックしたり、校正したりというようなことをやっていた。
     当時の藤森栄一の家には年齢や分野を問わず色んな人が出入りしていた。藤森栄一という人は、その中で得た知識を自分の肥やしにしてさらに広い分野を目指す人だったな。

     わしにとっては生物学と考古学はいつも近くにあった存在だった というより、田舎の若者の知的好奇心をみたすことができるものといえば生物学と考古学ぐらいしかなかったのだ。まだまだ当時の日本も貧しかったな。生物が好きだから医学の道に進むのが夢だった。

     大学に合格して上京した3月のある日、わしは上京先で電報を受け取った。
    「チチキトクスグカエレ」だ。
    わしが家に着いたとき、親父光知(ミツトモ)は意識不明で布団に横たわっていた。脳溢血だった。親父はわしが医学の道に進むことに猛反対していた。だからわしは上京したものの、大学に入学することはできても学費が払えるかどうかも危ういという有様だった。脳溢血で倒れた親父。まだ姉も妹もいる。母も農業以外に仕事はなかった。わしに選択の余地はなかった。医学の道をそのままあきらめざるを得なかった。
     後になって神棚にわしの大学合格通知が大切にしまってあるのを発見した。母は合格通知そのものを見たことさえなかった。多分親父は最後に田畑を売ってでもわしに援助しようと考えてくれていたのだと思う。

     医学はあきらめたが、わしは自分をあきらめなかった。畑をやり、田んぼをやりながら色んなアルバイトをした。遺跡発掘にも参加した。少ない金で考古学や自然科学の本を買った。酒もたばこもやらなかった。いや やっているヒマがなかった。何か突き動かされるように学び続けること。それが自分の唯一の支えだった。
     考古学について基礎をしっかり勉強したのもこの頃だ。特に当時尖石考古館の館長だった宮坂英弌(フサカズ)先生に多くを教えて頂いた。
     結果として医学の夢は破れたが、そのおかげですばらしい考古学の師に恵まれたのだ。

     ある日 いつものように尖石考古館に宮坂英弌先生を訪ねた時のこと。
    考古館で一人の老紳士と出会った。
    そのとき わしは生涯のテーマに出会うことになる。(その2へ続く
    | 考古学者 武居幸重 | 20:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









    http://blog.joumon.jp/trackback/355377